ここんとこ、汚れた部屋を見ながら過ごしています(笑)

部屋を片付けるよりもやりたいことがあって。

それは立派なことじゃなくて

寝ることだったり、テレビ見ることだったり、

子どもと遊んで部屋を散らかすことだったり・・・

 

片付けないとな・・・と思うのですが、

片付けたいと思うまで「片付けてやらない」を実践中。

 

「~してやらない」のネタ元は子宮委員長はるちゃんです。

「じゅんせーの泣き声が聞こえて起きたほうがいいかな・・・と思うけど、

(自分の子宮の声に従って)起きてやらない」

みたいなセリフを動画で見て、しびれました。

誰かに求められてるのに「してやらない」じゃないんです。

自分の思考がしたほうがいいと思ってるのに、自分のために自分が「してやらない」。

そこまで自分を大事にするんだな~って目から鱗。

 

 

そんな訳で「片付けてやらない」を実践している私は

その恩恵としてやりたいことばっかりやっていました。

そして、だんだんと汚れていく部屋を見ていてある一線を越えたとき、

「イヤだ」と思いました。

なので今日は片付けました。すっきりしました。

 


以前だったら、部屋を散らかり放題にした自分をダメだなって思ってたところですが、

今回は、意識的にそんな自分にマルをしていきました。

 

そんな流れの中で思ったこと。

 

今の自分にマルを付ける=「これからもそのまま」って訳ではないんだ。

 

だって私、部屋を片付ける自分になりたいんだもん。

 

 

 

「そのままの自分でいい」とマルを付けると

変わらなくていい、というふうに成長がなくなるように感じそうだけど、

そういうわけでもないんだな。そこの一択ではないんだ。

それはきっと、自分に選択権をあげる作業。

 

マルをできないで自分責めをしてると、選択権を受け取れずに

「~しちゃだめ」の世界でしか生きられない。

でもマルができると、「~してもいい」し「~しなくてもいい」の世界で生きられる。

 

今の自分にマル=どんな自分もマル(今の自分だけがマルではない!)

 

 

一人で腑に落ちました(笑)

 

 

自分にマルをし続けていくと、

そのままの自分でいたいというのが本音なら、そのままでいられる。

 

そして、変わりたいと思ってることがあるなら、

きっと「そのままではいない」選択肢を選べるようになってくる。

 

 

自分にマルをあげ続けた結果、私はイヤなもの(部屋が汚いこと)がわかった。

「そのままでもいい」「そのままではいない」の選択権があった。

なので「そのままではいない」選択をした。

 

 

そこに自分責めは入れないようにした。(難しかったけど)

「だめな自分!部屋を片付けてだめじゃない自分にならなくちゃ」っていう

自分責め経由の動機ではなく、

「汚い部屋はイヤだ」というシンプルな動機で動けたと思う。

 

なんだ、自分責めしなくても部屋はきれいになるじゃん(笑)

同じ結果なら、自分責めしないほうが本当に楽。

 

 

 

別件ですが、最近こんな条件反射も見直してみました。

 

私、危ない場所を見たり、怖いニュースを見たりすると、

ついつい自分の子どもの不吉なこと想像しちゃうんです。

そして、すぐ頭を振って

「ダメダメ、こんなこと考えちゃ。現実化したらどうするの」

と、条件反射で思っていました。

これは心がきゅっとなってる状態です(><)

 

でも最近は、思わず頭を振ってしまったあとに

「考えてもいい。考えちゃう自分もマル。

大丈夫、望んでないから現実化しない。」

と思って望む未来の方をイメージし直すようにしました。

大丈夫、と思うと安心のバイブレーションになります。

 

結果として、頭から不吉な考えがなくなるのにかかる時間は

どちらもそんなに変わりません。

そして安心ベースであれば、現実化の可能性も高くはならないはずです。

それであれば私は安心の方を選んで対処したい。

そんなことを「考えてはいけない」ではなく

「考えなくてもいい」を選択できるようになりたいなと思うのです。

 

不吉な想像はイヤなことです。

でも、ダメなことではない。

マルをつけて、自分から一つ禁止事項を減らしました。

 

 

イヤなことって、ただイヤなことなんだ。

それがわかれば対処すればいいだけ。

イヤなことをやっちゃってる自分がダメ、なんて思わなくていい。

 

 

とことん自分に優しく、禁止事項を一つずつ減らす。

今の自分にマルをつけて、今後の私を選択していく。

 

一歩一歩だけど、望む方へ進んでいきたい。

そんなことを思った本日でした。