今回は流産についてのお話です。
苦手な方はここで閉じて
いただけたらと思います。
ではいきますね!
あなたには流産の経験はありますか。
それについての気持ちは
いかがでしょうか。
私は2回の流産経験があります。
どちらも早期流産ですが
胎嚢が見えて、小さな頭や
ピコピコ動く心臓のかわいい姿は
すでに我が子としかいいようのない
愛おしさがあると私は思います。
なので、超音波でも
その動かなくなった姿を見た時の
悲しい光景は忘れられません。
手術台に上がった時の記憶も。
タイトルにした
「生まれてこなかった我が子を思う日」。
私の場合は出産予定日です。
流産をした日でも手術をした日でもなくて。
↑その日がいつだったか、私は忘れている。
これは人によって
違うのだろうなーと思います。
失った日よりも
会える日を楽しみにしていた
気持ちの方が鮮明だったのだろうと
自分の中では解釈しています。
2017年3月に
生まれる予定だった我が子が
生まれていたら。
今年で何歳だなー。
と数えてしまうことは、、やめられません。
誕生日のお祝いしたかったなー。
産みたかったなー。
会いたかったなー。
・・と、毎年思います。
この先も思うと思います。
で、思って、泣くと思います。苦笑
心のことを学ぶ前は
そうなることがすごくイヤでした。
なぜなら、そんな自分自身を
どう扱ったらいいか
わからなかったから。
いつまでもズブズブに悲しい沼に
入っていくみたいで怖かったのです。
抜け出し方がわからないから
余計に怖かったのだ、って今は思います。
あるいは、
どこかで誰かが言っていた
前向きに生きることがいい。
ポジティブ思考がいい。
笑う門には福来る。
という考え方。
それはそうなんだろうけれど、
きっとその通りなのだろうけれど、
前向きになれない自分や
ポジティブに考えられない自分。
笑えない自分
にしかなれない時、じゃあ、
どうやって生きていったらいいのさ?
そうなれない私はダメ人間
って、結局、
負のスパイラルになってしまう。
アドラー心理学の学びを通して
私が救われたのは、
ネガティブな自分を
退治しなくていい
という考え方でした。
人は誰もが不完全だから。
ネガティブな感情も
大切な自分の感情のひとつ。
ないものにしようとせずに
そのまま認める。
そのまま寄り添う。
悲しい気持ちを持ちつつも
元気にならなければ!と思っていて、
けれど元気になれなくて
そんな自分を
責めることをやめてからのほうが
ジワジワと元気になれました。
で、ですね。
これをするには「勇気」が不可欠。
不完全なまま生きる勇気。
勇気がないと
不完全な自分を認められないから。
流産と同時に
妹たちの妊娠が重なったこともあり、
勇気ゼロどころか
勇気マイナススタートからの私でしたが
最初の頃は師匠や仲間たちに
たくさん勇気を分けてもらい、
自分で自分を勇気づけ続けて
今があります。
生まれてこなかった
我が子の出産予定日。
夫は忘れています。笑
覚えているのは
この世で私だけなんじゃないかと。
でもそれでいいって思います。
勇気づけを学ぶ前は
「私と同じ気持ちでいてほしい」と
どこか期待していたけれど(笑)
夫の気持ちは夫のものであり、
覚えていない = 悲しくなかった
というわけでもないから。
悲しいことが何ひとつ
起こらない人生はきっとない。
心が折れてしまう日もあるけれど、
折れても大丈夫。
大切なのは立ち直ること。
時間がかかって大丈夫。
立ち直る力が
アドラーでいうところの勇気です。
流産に限らず、
どうしたらいいのかわからない
悲しい気持ちがある方の
参考になったらうれしいです。
本日もお読みくださりありがとうございました。




