今日はかなり感覚的な話をします。
いつも以上に「見たもの」「感じたまま」のことをただ放ちます。
星周りなど大切なことではないので、
お暇潰しのお付き合いで軽く見ていただけると嬉しいです(*^^*)
昨年10月10日からの蠍座木星期になってから、
何人もの方に文章の書き方が変わったと言われるようになりました。
説得力が増したとか、
私の文章と「言わされてる」状態の違いがはっきり出るようになったとか。
数秘やホロスコープなどのツールを用いず
証明される前の情報を一番鮮度が高い内に読むことは「私」があるままりーディングしているので一番楽しいのですが。
「形而上学過ぎて難しい」と言われることもあったんですね。
私自身まだ理解が100%できない部分もありますし、
文章にすると意味が異なるものになってしまうことの方が多いのですが、
できる限り証明しようと努め、言葉になるように精査してブログに書いています。
今回の話は、それ以上に言葉にできないのです。
今まで人生って、タペストリー(織物)のようなものだと思っていたんです。
真っ白な布地に、色とりどりの糸を織り込んで、人生をかけて模様を完成させるんです。
ある程度のパターンは決まっているのですが、
どんな色にするか。どんな装飾にするか。それは自由なんです。
「人生でこれを成し遂げたい」という魂の雛型(パターン)は決まっているのですが、
どのように向き合うか、どんな人と出会うか、どのように考え、気持ちが動くか。
それらは全部、自由なんです。
今までは「平面から」分かりやすくそう見せてくれたんですね。
昨年11月に入ってからよく見せて貰う映像があって、
でもそれを何と表現して良いか分からなかったのですが。
あえて言うなら、ルービックキューブみたいでした。
区画がいっぱいあって、その区画もよく見るとたくさんの「織物」の集合体で。
その一枚一枚の「織物」の模様も平面的ではなく、色の置き方も立体的で。
今まで一側面しか見れなかったものをもっと俯瞰して見れるようになった時、
そのタペストリーに厚みがあるように感じたんですね。
何枚、と数えきれないほど奥行きのある布を、
色糸を通した針がその内の何枚かのタペストリーに渡って模様を縫い上げているんですね。
一枚一枚のタペストリーは独立しており、細かい模様や色味は全然違うのに、
目の前でチクチクと縫い続ける「針」は、「独立した」タペストリーを「重ねて合わせて」いるんです。
たぶんこれ、具体的な見え方としては初めてお伝えするのですが。
私がセッションで主にしていることは、
星の数以上ある「隣り合わせのパラレル」の内、
「今観測しうる中で現実化する可能性の高い最高最善の未来」をお伝えすることです。
「見たものが現実化する」法則に基づき、
時間軸を外した場所からの観測で「こんな感じになりそうです」とお伝えし、
その「現実化する可能性の高い未来」を実際に現実化させるお手伝いをしています。
そこで「なんか違うんだよなぁ」と思ったら別の「可能性」を見せて貰うので、
未来をチェンジしているというか、時間軸を越えて先に「起こる可能性の高い未来」から過去を思い出す形で「今」を見ているんです。
「今この瞬間」にいながら、
「未来を見てやり直しをかけることが出来る」というと、もう少し具体的でしょうか。
宇宙空間のような場所で展開される
金色のライアー(層)とディメンション(次元)の交差で、「ここ!」というように光ったりします。
ライアーは上昇なのでバイブレーションの変動、
おそらくアセンションと呼ばれるものの一側面でもあるのかな。
ディメンションはライアーに比べて「選んだ瞬間」どこにでも行ける感じがします。
その交差の「縦」と「横」の軸の座標を見ていたのですが。
最近、そこに「奥行き」が見えるようになりました。
ヒントというかきっかけとしては、半年前にシータヒーリング®のコースを受けた時に
「今のあなたも最初とは限らない。今の使命を完遂しなければ『私』が繰り返される」と
言われたんですね。
時間が幻想だとするならば、
確かに過去生や未来生は「同時進行」で行われていると考えるのが妥当であり、だとすると魂から生じる「人間としての『私』の生の数」は予め決まっていると考える方がスムーズです。
そのことに気付いて「見える」ような感覚がした先月、メルマガにこんなことを書きました。
時間というものが存在しないのなら、
過去生や未来生と呼ばれるものも本来は存在しないはずです。
「今」の私こそが紛れもない「私」であり、
実はそれがどの時間軸でも同時に存在している。
アカシック・レコードへのアクセスやリーディングを通じて過去生や未来生の「記憶」を紐解けますが、それらは「こうだった」「こうなる」という「確定」したものではなく「完成形」と捉えることができるかもしれませんね。
ニュアンスとして似ていますが、
確定が「決まったもの(完成形からみて不確定でありチェンジできるもの・ミクロ)」だとするならば、
完成形は「ゴール(変更できないもの・マクロ)」です。
「完成形」が達成されないと、「今の私」の人生は何度も繰り返されます。
魂という大元を通じて分化した過去生、未来生は「今の私」と同時に存在しますが、
「今この瞬間のこの私」は「私一人」だけです。
パラレルという無数の鏡に投影された「どの私」を選ぶかは自由ですが、
その選ぶ私は「繰り返しの同時存在ではない」ということです。
それを考えると、世界はまさに「私」のためにあります。
「私」が未完のままこの世を去ると、生まれた「私」に戻ります。
例えば、
私が2068年2月23日22:02に横内のぞみとしての人生を未完のままこの世を去ると
「すぐ」にまた1989年1月19日8:39鎌倉市に生まれるでしょう。
時間が蒔き戻るのではなく、
「その場」に私が「移動」するだけです。
世界に「何回目」というものはなくただ存在し、回数は個体差によります。
世界は「私」のためのステージであるからこそ
「私」の投影物というのはこのことからも証明できるのではないでしょうか。
これは「魂の牢獄」に繋がれたように感じる人には絶望的な考えであり、
また見方を変えると「何事も遅すぎることはない」という励みになります。
今持っている才能は過去(生)で蓄積したものと言いましたが、
「今この瞬間で」私が積み上げたものが
「次の私」の一番近くて大きなギフトになり得るのです。
これはデジャヴュ(既視感)に対してアプローチした現段階での一つの考察ですが、
過去生などでは説明のつかない物事や「知っている感覚」に対して
「この私は最初ではない」と仮定すると理解できる物事が非常に多いのです。
縦…レイアー アセンション・バイブレーションの変動
横…ディメンション 無数にある「すぐ隣」の次元
奥行き…リピート 繰り返される「この私」
この3つが知覚を超えた「私」を構成し、
さらに過去生と未来生を交えて複雑に織り成した立体的なタペストリーが「私」なのです。
では、「この私」の役割を終了した場合、一抜けになるのでしょうか。
「私」が「誰か」に影響を与えなかったとしても、
「私」が擦れ違った「誰か」が「遠い誰かに影響を与える」ならば、
欠けることのできない「私」は自分の人生の目的ではなく、次は「誰か」の成長を手助けすることを主な目的として生まれます。
完璧に采配する宇宙に代わりの誰かを充てるということは考えにくく、
むしろ「奉仕」の段階に入った魂は喜んで人間として転生すると思うんですね。
ただし、奉仕として転生する時ももちろん
「他者に影響を与えるために」先に自分のテーマをクリアしないといけません。
「自分の力で」考え、感情を動かし、人と関わり、影響を与え合わなければならないので
「他者に影響を与えるために自分の人生を生きる」という使命は忘れています。
確かに「私」は「今の私」を生きている感覚があります。
なのに、「私」の人生そのものが「他人のためにある 無私の奉仕」とまだエゴを持った自分が知った時、どんな感覚になるのでしょうか。
正直、まだ私自身言葉にするに至らないため感覚をシェアできず、
この「金糸を手繰り続ける孤独感」のようなものはなかなか分かって貰えないだろうなぁ。と勝手に寂しく思っていたんです。
そうしたら!
最近読んだ小説に、思っていたこととまったく同じことが書かれていました!
(中略)
「奇遇だね。こちらも、運命とは大いなる宇宙が仕組んだ壮大な伏線であると思いついたばかりなんだよ」
(中略)
「なぁ、君、そう気が付いてからどう思った? 自分が誰かの為に存在してきたのかもしれないと思って、残念に思ったかい。自分がこれまでに築き上げてきたものがすべて、誰か別の人の為だったなんて」
「自身が特別なのではないと思い知って? とんでもない。この世の奥深さにますます興味が湧きましたよ」
そうです!!!!!!
これが言いたかったんです!!!!
ここから先も2,000字ほどワーッと書いていたのに、
急に回線が落ちて復旧できないままとなりました(*´ー`)
落ちた瞬間は「いやもうちょっと…なんでやねん
」と思ったのですが。
・星周りを書かないと言ったのににちゃっかり交えたこと
・まだ情報として早いということ
・すごく大事なことだから改めて書いてと言われたこと
・文字で書いたからもう忘れないでしょ
と言われ。
最後の項目に関しては
「アルファ波で書いてるから忘れるわ!」とツッコミたくなりましたが(*´ー`)
まぁ、私のものでもないし。
しゃあないですな(*^^*)
「自分を満たす」ということは大前提です。
まず私が満たされることで、その余力が世界に広がっていくのですから。
ですが、溢れた愛をボトリングしていることに気付かない人が多いと言われたんですね。
その内容をお話しするタイミングが、少しだけ合わなかったみたいです。
ユングの言うところの個性化のプロセスは
山羊座土星×牡牛座天王星を形成する今年から2年間に渡る星の後押しと共に最終局面を迎えます。
「超個人主義」の時代から
本当の意味で「自分に集中していることで相手に奉仕を与える」もっと軽やかな時代へ。
見せかけの奉仕ではなく、
ただ手放して溢れさせるだけ。
「自分が誰かの為に存在してきたのかもしれないと思って、残念に思ったかい。自分がこれまでに築き上げてきたものがすべて、誰か別の人の為だったなんて」
「自身が特別なのではないと思い知って? とんでもない。この世の奥深さにますます興味が湧きましたよ」
「私」にこの世が深くて謎めいていることを教えてくれるのは、
「あなた」に他ならないのです。