ずいぶん前ですが、比較することがいかに不幸をもたらすか… という記事を書きました。
これはその続編。
グラッサー博士は、
「比較する」ことは外的コントロールの習慣の一つ
だとおっしゃっています

んーーーー

比較することが、
なぜ外的コントロールの習慣になるのか?
これに関しては
ちょっと、ピンと来ない人が多いかも・・・





通常、比較する対象となるのは【他者】ですね?
では、こんな例はどうでしょう・・・
仮にあなたがテストの点数で65点を取ったとします

あなた自身としては、65点をとる程度の頑張りをしました。
(つまり、赤点にはならない程度の、まぁまぁの頑張りです
)でもクラスの人たちの点数をきくと・・

・みんな30点とか、45点とか、
赤点がずらり・・・

なんだか、あなたは
自分が「すごく」なったような気がしてきました。
さて、今度は別のテスト。
こちらでもあなたは65点を取りました。

なぜなら今回も、65点をとる程度に頑張ったからです。
(だから赤点にはならなかったわけです…
)しかしクラスの人たちの点数はと言えば・・・

今回は、80点や95点が続出で
あなたは下から数えて片手以内・・・

なんだか、あなたは
自分がとっても「みじめ」な気分になってしまいました…。





この、よくありそうなお話。
まさに
比較が外的コントロールである
ことを説明しています・・・

なぜなら、
「自分は、同じ状態(65点程度の頑張り)なのに
周りの人(の取り組み)によって、
自分(の評価)が変動して(コントロールされて)いる」
からです。
自分には変えられない【他者】という要素によって
自分自身のコントロールを失っている状況。
これって、究極を言えば、
自分よりも不幸な人が多かったら、自分は幸せで
自分よりも幸せな人が多かったら、自分は不幸になる
ということになりますわ…

他者と自分を比較をして自分のレベルを確認すると、
私は、周りの人によってコントロールされている
ことになりなねない・・・


よくこれを「自分に外的コントロールを使っているってことですよね?」とか
「人から外的コントロールを受けている…」等と表現される方がありますが、
この場合はそうではないですね…。
もしも、自分の成長を知る為に
「比べる」対象が必要だとしたら
それは、【(昨日までの)自分】
と比べてみましょう。昨日の自分と比べて、今日の自分の方が少しでも出来ていることがあるなら
人はそれを《成長》と呼びますよね…

自分のコントロールできるものにエネルギーを注ぐこと・・・
それが選択理論的な思考なのです

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過去記事に加筆・修正してアップしています
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(←気持ちとしては「あ」を濁音で…
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